以前書いた「東海道マラニック」について、こっそり試走してみました。
おおよそ60kmは行けるかな?と思っていましたが、8時間掛けて40kmでギブアップ。
ゆっくり走っている上に、あちこちキョロキョロするので、なかなか進みませんでした。
というわけで、日本橋から戸塚までの記録です。
日本橋から品川
日本橋には道路基準点がある。ちなみに日本橋に一番近い駅は、地下鉄日本橋駅ではなく、三越前駅。
7:40頃にスタート。信号ストップが多い。道は、国道1号線ではなく、国道15号線(第一京浜)。
浜松町付近のゆで太郎で、朝食。
品川駅を過ぎて、旧道に入る。ここが最初の宿。道は、北品川の商店街になっている。
品川宿は、日本橋から二里。約8kmの地点だ。
品川から川崎
大森の手前で、再び国道15号線に合流してまた少しそれる。このあたりは、海苔問屋が多い。
多摩川を渡る六郷橋の南側の歩道橋を通って、神奈川県川崎市に入る。川の脇には京浜急行大師線が走っていた。
すぐに15号線をくぐる。ここが、川崎宿。
旧東海道は、国道の北側を並行に走っている。今では、一筋違う道と区別がつかない、普通の道だ。
川崎から神奈川
京浜急行の八丁畷駅で、踏切を渡る。上にはJR南武線が通っている。
「八丁畷」とは、次の神奈川宿に向かって、八丁の畷(田んぼのあぜ道)が続くことが由来だそうだ。一丁は約109mなので、900m弱のあぜ道があったのだろう。
市場一里塚まで来た。京浜急行の鶴見市場駅の近くにある、江戸から5番目の一里塚だそうだ。ということは、おおよそ20km進んだことになる。
鶴見川橋の手前にあったパン屋さんで、パンを2つゲット。住宅地の中のパン屋さん。おいしく頂く。
鶴見川を渡ると、京浜急行の鶴見駅前に出る。道が少しわかりにくいが、高架の京浜急行をくぐって、南側の駅前商店街を進む。国道15号線と交差した後は、JR鶴見線の国道駅と交差する。
国道駅の高架下は、古い昭和の感じがある。夕方は、飲み屋さんが開店して、「いつものメンバー」が集まってくるのかもしれない。
生麦事件の碑を過ぎると、再び国道15号線。左手にはキリンビール工場。見学もできるようだ。
神奈川から保土ヶ谷(程ヶ谷)
神奈川宿は、横浜駅の市街地の手前から、山際に向かうあたり。今は面影はない。
京浜急行線で、「神奈川新町」などの「神奈川」と付く駅名が横浜と川崎の間にあるのはなぜ?と思っていたが、昔の神奈川宿が由来だったことに気づいた。
かなり広い宿だったようで、国道15号線から離れて高台に続く道も神奈川宿の一部だった。江戸時代は、高台から海が見渡せたようだが、今は無理。
高台を越えて下ると、環状1号線と並行に進む。他の路地と同じような道となっていて、ここが昔はメインロードだったという面影はあまりない。
高台を下った後も、道は高台に沿って進んでいる。少しの間環状1号線に合流するが、浅間下の交差点ですぐに旧道に入る。
八王子道との分岐「追分」がある。国道16号線の元になった道だろう。昔は、絹を横浜港から輸出するために栄えたそうだ。
そのまま進むと、相模鉄道の天王町駅から東に伸びる松原商店街になる。
松原商店街は非常に活気があり、普通に歩いても人にぶつかってしまう。年末のアメ横みたいだ。
このあたりが程ヶ谷の宿。
あちこちに説明があります。
保土ヶ谷から戸塚
程ヶ谷から戸塚へは、最初の峠越え。
旧道を権太坂から登る。住宅地の道で、東海道とは思えない道。今は、尾根筋を進んでいるようだが、標高が低いところを通ったほうが楽なはず。 そう考えると、当時は両側が山だったのかもしれない。
上り切ったか、と思ったら、再び上り。これを上り切るとバス通りに出る。ここが最高地点のようだ。
焼餅坂を下り、品濃坂を上る。環状2号線を歩道橋で渡るはずだったが、ミスコースでそのまま直進。ちょっと早く1号線に合流した。
たまに1号線から離れるが、すぐに戻る。このあたりは国道も片側1車線で、渋滞している。
のんびりと走りながら、戸塚の宿に到着した。