2019年のゴールデンウィークに、旧東海道を歩き走りのマラニックをしてきました。2日目は、掛川宿から二川宿までです。
1日目の府中宿から掛川宿までの記事は、こちらです。
初日に見附宿(磐田市)まで進む予定だったので、宿は磐田でした。始発の東海道線で、掛川まで戻ります(涙)。
6時過ぎに、掛川をスタートしました。
掛川宿から袋井宿
しばらくは、旧国道1号線の県道253号線に沿って進みます。
おしゃれな籠がありました。よく見たら、ゴミステーションでした(笑)
いい感じの松並木が続きます。移植していないとしたら、旧東海道が2車線の幅があったことになります。当時としては、とても広い道だったでしょう。
袋井は、53次のちょうど真ん中、27番目です。そのため、「どまんなか」なのです。
宿場に入ってきました。「日本一小さな歩く道の駅」がありました。
袋井宿には、3軒の本陣がありました。東本陣跡には、標識がありました。
袋井宿から見附宿
袋井宿の前後は平坦な道が続きますが、見附宿は、少し高台にあります。
そしてこの登りには、「大正の道」「明治の道」「江戸の道」があります。
少し外れには、「鎌倉時代の道」もあります。そして、国道1号線は昭和の道で、平成2年に磐田バイパスが完成したということで、バラエティに富んでいます。
当然、後期になれば緩く広くなるのですが、ここは江戸の道をたどることにしました。
松並木を過ぎると、見附宿です。
見附にも、こいのぼりが沢山ありました。
見附宿から浜松宿
旧東海道は、見附宿で大きく南進して、西北西に進んで天竜川を渡ります。。浜松宿までは4里近くある最長区間のため、ショートカットして、天竜川にまっすぐ向かうことにしました。
途中の牛丼屋さんで遅めの朝食。一言坂を下っていくと、マラソン大会が行われていました。調べたら、「長藤マラソン」でした。38回も続いている、歴史ある大会でした。
天竜川は、旧国道1号線と、国道1号線の上下車線の3本の橋が架かっています。歩道があるのは、国道1号線の西行きの橋だけでした。が、この歩道はとても広く、走っていても怖くありません。
渡り切ると、浜松市に入ります。宿場までは、まだ距離があります。
途中で軽便鉄道跡がありました。浜松市街から、天竜川付近の中野町まで走っていたようです。昭和の初めに廃線となりました。
浜松市街はすっかり開発されています。でも、本陣跡の看板は、しっかりありました。
11時半頃に到着です。お昼ご飯を考えなくては。
浜松宿から舞阪宿
浜松から舞阪も、10kmちょっとと、比較的長い区間です。
市街地のはずれには、SLの模型が。国鉄浜松工場の近くにありました。
途中には、曲がっても頑張っている松があったり、
舞阪宿は、浜名湖の渡しの西側の宿場です。脇本陣が残っていました。
渡船場跡の「北雁木」。昔は巨大な建造物だったのでしょう。
舞阪宿から新居宿
この区間は、昔は船でしたが、今は橋が架かっています。弁天島を経由して、いくつかの橋を渡ると、新居の宿です。
そして、ここには関所が置かれていました。
旅籠、もあります。
新居宿から白須賀宿
白須賀宿へは、JRと離れて南側を進みます。
ここにも、松並木がありました。
潮見坂を登って振り返ると、太平洋が見えます。京から下ってくると、ここで初めて太平洋が見えたそうです。
登り切ると、資料館の「おんやど白須賀」がありました。時間が遅かったので、既に閉館してました。
白須賀宿から二川宿
白須賀宿の古い町並みを抜けると、国道1号線に合流します。これで、長かった静岡県が終わり、愛知県に入ります。
国道1号線は4車線の大動脈。車がビュンビュン通ります。
歩道はしっかりしていて、わずかな下りなので、淡々と走る(歩く)だけです。
下り切って東海道新幹線をくぐると、二川宿はもうすぐ。
二川宿本陣資料館も、時間が遅くてしまっていました。4:30が最終入場のようです。
二川宿に到着したのは、午後5時。次の吉田宿(豊橋市)までは6キロ以上あるので、今日はここまでとしました。
宿は豊橋駅にしたので、二川駅から電車で移動です。
明日は、豊橋から二川に戻って、再スタートです。
(追伸)3日目の「二川から岡崎」の記事を書きました↓