2016年に府中宿まで到達した旧東海道マラニック。3年ぶりに続きを進みました。
府中宿から丸子宿
東京から新幹線で、静岡駅まで。あっという間の1時間でした。
準備して、スタートしたのが午前8時過ぎ。足元には「東海道」のマークがあります。
安倍川の手前には、「安倍川もち」のお店がありました。「創業 文化元年」だそうです。
安倍川を渡ります。向こう側が遠く見えます。
安倍川を渡ると、旧道に入ります。川を渡って最初の信号を曲がって、再び橋を渡って振り返ると富士山がきれいでした。
ちょっとテンションが上がり、進んでいきます。 が、東名高速と交差することとなり、ちょっと不安になって地図を見てみると、やっぱり間違っていました。
旧道に入る場所が一か所早く、南に下ってしまったようです。意気消沈して、戻ります。後から見てみたら、2キロちょっと余分に進んでしまいました。往復で5キロのロスです。
焦っても仕方ないので、歩き走りで戻ります。気温が上がってきたのと、気持ちを入れ替えるために、セブンイレブンに立ち寄って水分を補給。この先は山道のはずなので、ハイドレーションに2リットルを入れました。
背負ってみると、ぐっと重くなって、更に意気消沈。考えても仕方ないので、前に進みます。
丸子のバスターミナルを過ぎると、ほどなく丸子下宿に到着です。時間は10時前。コースミスやセブンイレブンでの休憩で、一里十六町(約5.7km)の行程に1時間半以上かかってしまいました。
いい感じの街並みを過ぎると、橋の手前に丁子屋がありました。とろろ汁で有名なお店だそうですが、まだ開店前でした。
丸子宿の説明もありました。次の岡部宿までは二里だそうです。
丸子宿から岡部宿
丸子からは、緩やかな登りとなります。しばらくすると、国道1号バイパスに合流します。脇では車が飛ばしていきますが、歩道がしっかりあって安心です。ギリギリ走れる登り勾配を、ゆっくり進みます。
車道と歩道の境には、つつじがきれいに咲いていました。
いよいよ、峠越え「宇津の谷峠」になります。
この区間は、江戸時代の旧東海道、「明治のトンネル」、「大正のトンネル」、「昭和のトンネル」、「平成のトンネル」の5つの経路があります。
とりあえず、明治のトンネルに向かってみました。
すると、こんな表示が。
明治のトンネルの標高が115m、旧東海道の峠の標高が162m。その差が50m近くあります。
既にコースミスで時間をロスしていたこともあり、明治のトンネルでショートカットすることにしました。
トンネルを抜けると、「大正のトンネル」のルートと合流します。明治のトンネルは車両通行止めですが、大正のトンネルは車が通ることができます。
それでも、昭和と平成のトンネルに比べると、交通量はほとんどありません。
旧道を進んでいくと、岡部宿です。東海道で最多の宿数となる静岡県の、ほぼ真ん中の宿です。
本陣址(あと)では、こどもウィークが開かれていました。ここで小休止。11:15頃に着きました。
岡部宿から藤枝宿
岡部から藤枝までは、旧国道1号だった県道208号線に沿って進みます。県道ではありますが、交通量はそれほど多くなく、また歩道がしっかりしているので、マラニック向きです。
途中、少しだけ道を外れて、朝比奈川のほとりへ。振り返ると、いい感じの景色が広がっていました。好きです、この雰囲気。
再び旧国道1号に戻って進むと、藤枝の宿場になります。蓮華寺池公園では藤まつりでにぎわっていました。
藤枝の到着は12時半。すっかり熱くなってきました。上は半袖、下はジョギング用のハーフパンツでも汗をたっぷりかきます。
藤枝宿から島田宿
藤枝から島田までは、二里四町。8kmちょっとです。
静岡県内の旧東海道は、このような道標が沢山あり、行程の目安になりました。
島田宿に着いたのは、午後2時過ぎでした。
島田宿は、大井川の東側の宿です。「大井川川越遺跡」(国指定遺跡)として、昔がしのばれる街並みになっていました。
島田宿から金谷宿
島田から金谷は、大井川越えとなります。旧東海道では、一大イベントの川越えです。
現代は、橋を渡ればOK、です。
橋は1km以上あり、昭和3年に作られた土木遺産だそうです。
あれ、近鉄特急だ(違います。。)
途中には、こいのぼりの大群がありました。もうすぐ、こどもの日ですね。
金谷には、3時10分前に到着です。
少し、曇っていました。
金谷宿から日坂宿
ここから先は、牧ノ原台地越えになります。まずは、金谷坂を登ります。ここは石畳を復元して、昔の雰囲気が出ています。登りは急で、走れません。。
登り切って、諏訪原城跡を過ぎると、菊川に向けての下りになります。せっかく上ったのに…
周りは茶畑。新茶の茶摘みの最中でした。
下り切ると、菊川。間の宿です。このアップダウンの道は、途中で休憩場所が欲しくなりますね。
いよいよ、旧東海道の三大難所と言われていた小夜の中山です舗装道とはいえ、ほとんど車は通りません。時間も4時に近くなって、心細くなってきます。
そんな中で、お茶の工場からとても良い香りがしてきました。新茶です。
この後にも、大小たくさんの工場からお茶の香りがしてきました。
茶畑のはるか向こうには、太平洋が広がります。
急な坂を下ると、やっと日坂宿。この区間は6.5kmなのですが、長く感じました。4時過ぎだったので、やや涼しくなってきました。
小夜の中山は、尾根を通っています。北側の国道1号線ルートの方が、(トンネルでなく峠越えであっても)ラクなルートのような気がするのですが、なぜでしょうね。
日坂宿から掛川宿
日坂宿は、昔のイメージが良く残っています。日坂銀行跡の家もありました。
掛川へは、川沿いを進みます。市街では少しそれて、掛川城を見て、今日はここまでにしました。時間は午後6時前。ギリギリ明るいうちに到着です。でも、予定では見附宿(磐田市)まで行く予定だったので、ここから電車で移動です。
本日の宿は磐田
掛川から磐田までは、電車で15分くらい。文明はすごいです。
宿泊は、駅から20分くらい歩いた「藍咲」という宿。お風呂が共同ですが、広くてくつろげました。
2日目に続きます。
(追伸) 2日目の記事を書きました。↓