東海道五十三次をゆっくりマラニックしよう!の第2弾です。今回は、戸塚から小田原までです。
前回は、日本橋から戸塚まで走ったので、今回は戸塚からスタートです。
当初の計画では、一日60kmを目標としましたが、前回の日本橋から戸塚の距離は40kmくらいでした。
あちこち見たり歩いたりしていると予定より時間がかかります。そのため、今回も40kmを目標として、戸塚から小田原を目指します。
戸塚から藤沢
戸塚駅を8:30に出発。国道1号線を進む。
通勤と通学で、バスが1分に1台のペースで来るらしい。
戸塚の見附跡は、それを示す標識が立っているだけ。
大坂を登って、横浜新道から続いている1号線バイパスに合流する。
片道2車線の大きな道で、中央分離帯に松が植えてある。当時の名残だろうか。
原宿の一里塚を過ぎる。江戸から11番めということで、約44km進んだことになる。
この先で、1号線と別れて旧道へ。
鉄砲宿がある。昔、水神様のお使いで、お姫様のペット(!)だった大蛇が、人の影を食べてしまうので、大蛇を鉄砲で退治した猟師が住んでいたことから名がついたとのこと。
ちょっと悲しい物語です。
旧道を下って、諏訪神社を過ぎると、藤沢宿に到着。
境川をまたぐ遊行寺橋に、高札場があったようだ。
藤沢から平塚
旧道1号線を進む。
途中のセブンイレブンで休憩。テーブルがあって、食べられる。
トイレを借りて、ドーナツとコーヒーを食べた。窓が大きくて、日差しが暖かい。
旧1号線の宿場周辺には、電信柱が無い。そのため、眺めが開けていて、走っていて気持ちいい。
旧道から、再び1号線に合流する。茅ヶ崎の手前で、JR相模線をまたぐ。
茅ヶ崎にも、一里塚があった。ここは、日本橋から14番目の一里塚。大きな交差点の角にある。
市街地を通過すると、現代の国道1号線の60km地点があった。
新湘南バイパスの下の川の手前に、「相模川の橋脚」の遺構が残っていた。
関東大震災で出現した、鎌倉時代の橋脚とのこと。
実際の遺構は埋設保存されており、レプリカが表示されていた。
この先、小さい川を渡った次の大きな川が、相模川だ。
相模川を馬入橋で越えると、平塚。馬入の一里塚があった。
平塚の市街地にも、宿場の跡が色々とある。
これは、江戸見附。此処から先が宿場だ。 今の駅中心からは、やや西側が宿場の中心だったようだ。
平塚から大磯
市街地を抜けて1号線に合流する。 ここが京方の見附。
ぽっこりとした山の風景は、江戸時代と同じだ。
花水川を渡る。少しして、右斜めに松並木がある。こちらが旧道だ。
旧道の途中が、化粧坂の一里塚。江戸から16番め(十六里)の一里塚だ。
旧道は、更に細くなって、JR東海道線をくぐる。ここは車は通れない。
東海道線をくぐった後も、松並木が広がる。舗装されているものの、江戸時代の雰囲気に似ているのだろう。
大磯宿の江戸見附は、この松並木にあった。
再び1号線に合流する。途中のパン屋さんでパンをゲット。街中の、地元に愛されるパン屋さんのようだ。
大磯から小田原
大磯は、「湘南発祥の地」だそうだ。
大磯市街地を出ると、上方見附がある。石垣もあり、昔の様子が感じられる。
大磯城山公園付近で一旦国道1号線から外れるが、すぐに合流する。
大磯ロングビーチ付近で、17番目の一里塚がある。
JR二宮駅で一休み。「湘南クッキー」の無人自動販売機があった。
一口サイズのクッキーが3枚入って、90円。ちょっと食べるにはちょうどいい。
二宮にも一里塚はある。そして、本陣跡もあった。
大磯宿から小田原宿が長いし、この後川越えがあるので、ほぼ中間点の二宮に「間の宿」として本陣が置かれたらしい。
バス停も、「一里塚」だ。
酒匂川を渡って小田原市街に入る。
市街地に入ると、江戸見附跡がある。「山王口」とも呼ばれているようだ。
小田原宿の「なりわい交流館」があった。古い建物だが、残念ながら本陣ではないようだ。
小田原城の南側に「箱根口」の交差点がある。 本日はここまでとした。
43kmちょっと、6時間弱の道のりだった。
おまけ 小田原城
現在、小田原城は改築工事をしており、残念ながら姿を見ることは出来なかった。